最高裁判所大法廷 昭和37年(あ)1243号 判決 1964年7月01日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人平松勇、同鈴木秀雄の上告趣意第一点について。
所論は、先ず、原判決が犯罪貨物の所有者または占有者でない被告人に犯罪貨物の原価に相当する金額の追徴を科したことは、法律によらずして財産的刑罰を科したことにほかならず、憲法三一条および二九条に違反すると主張する。その理由とするところは、昭和二九年法律第六一号による改正前の関税法(以下旧関税法という)八三条三項によって追徴を科せられる犯人は、犯罪貨物の所有者または占有者であった者に限られるとの解釈を前提とするものである。
しかし、右条項にいわゆる犯人とは所有者または占有者であった者に限らず、当該犯罪に関与したすべての犯人をふくむ趣旨であることは、当裁判所の累次の判例(昭和二八年(あ)第三四四〇号同三三年一月三〇日第一小法廷判決、刑集一二巻一号九四頁、昭和二九年(あ)第三五九〇号同三二年七月一九日第二小法廷決定、刑集一一巻七号一九九六頁、昭和三〇年(あ)第三四四五号同三三年四月一五日第三小法廷判決、刑集一二巻五号九一六頁、昭和二六年(あ)第三一〇〇号同三三年三月五日大法廷判決、刑集一二巻三号三八四頁、昭和三四年(あ)第一二六号同三八年五月二二日大法廷決定、刑集一七巻四号四五七頁)の明示するところである。所論は、これと異る見解に立って原判決の違憲をいうものであるから、違憲の主張は、前提を欠くこととなり、採ることができない。
所論は、次に、旧関税法の前記条項が犯罪貨物の所有者または占有者でない被告人にも追徴を科しうる趣旨を定めたものならば、右条項は憲法三一条または二九条に違反すると主張する。
しかし、没収に代わる追徴に関する事項をいかに定めるかは、追徴なる制度の本旨に適合する限り、立法によって定めうる事項であり(前記昭和三三年三月五日大法廷判決参照)、当該関税法違反の犯罪に関与した犯人のすべてに追徴を科することは、犯罪に対する制裁と、その抑圧の手段としての刑罰的性格を有する追徴の本旨に適合するものと認むべきであるから、犯罪貨物の所有者または占有者でない犯人にも追徴を科しうることを規定している旧関税法の所論条項が憲法三一条または二九条に違反するものとはいえない。それ故、論旨は採ることができない。
同第二点について。
所論は、原判決は同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問うものであり、憲法三九条後段に違反するというが、刑罰法令で一の犯罪に対する法定刑として主刑および犯罪に係る物の没収またはこれに代わる追徴を併科しうべき旨の規定がある場合において、右規定にしたがい、一の裁判によりその一個の犯罪につき、法定の主刑および没収またはこれに代わる追徴を併科することが憲法三九条後段に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和三四年(あ)第二六六号同三七年一一月七日大法廷判決、刑集一六巻一一号一五〇五頁参照)とするところであるから、論旨は採ることができない。
よって、刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官横田喜三郎、同入江俊郎の補足意見および附加補足意見、裁判官石坂修一、同斎藤朔郎の補足意見、裁判官奥野健一、同山田作之助、同城戸芳彦、同柏原語六、同田中二郎の少数意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官横田喜三郎の補足意見は、つぎのとおりである。
わたくしは、判決の主文にも理由にも賛成するものである。ただ、犯罪貨物などを没収することができない場合に、その所有者でない共犯者に追徴を科することは、没収不能という偶然の事情のために、突如として追徴という著しい財産上の不利益を科することになって不合理であるという意見があるから、この点について補足意見を述べる。
一、没収物件が共犯者の一人の所有に属し、これを没収することができる場合には、その物件が没収され、追徴は行なわれないから、所有者でない共犯者は財産上の不利益を受けない。これに反して、没収物件が善意の第三者の所有に移っていて法律上で没収することができないか、滅失または所在不明などのために事実上で没収ができない場合には、没収の代わりに追徴が行なわれる。この追徴はすべての共犯者に科せられるから、所有者でない共犯者も財産上の不利益を受ける。これらの共犯者は、没収不能という偶然の事情のために、突如として財産上の不利益を科せられることになる。これはたしかに一見して不合理とおもわれる。
しかし、これを不合理であるというならば、没収物件が没収できる場合に、これをその所有者から没収することも、同じように不合理であるといえる。この場合には、ひとしく共犯者でありながら、没収物件の所有者は、その物件を没収されて、いちじるしい財産上の不利益を受けるにかかわらず、他の共犯者はこのような不利益を受けないから、あきらかに均衡を失し、不合理であるといわなければならない。この不合理は、没収物件が密輸出または密輸入の手段に供された船舶のような場合に、とくに顕著である。たとえば、三人が共謀して密輸出を企て、たまたまそのうちの一人が船舶を所有していたことから、これを用いて密輸出を実行したとする。この船舶は、密輸出の犯罪の用に供された船舶として没収されることになり、これを所有していた犯人はいちじるしい財産上の不利益を受ける。ところが、他の二人の共犯者は、このような不利益をまったく受けない。たまたま船舶を所有していたという偶然の事情のために、所有者である犯人だけがこのような不利益を受けることは、一見してたしかに不合理とおもわれる。それは追徴の場合における不合理と変わらない。右の密輸出がはじめに船舶を所有しない二人によって企てられ、それを実行するために船舶を所有する人が勧誘されたような場合には、不合理がいっそう顕著である。したがって、追徴について一見して不合理とおもわれる点のあることは否定できないが、それだけを非難して、没収について同じようなことのあるのを見のがすのは、楯の一面だけを見た議論であるというそしりを免がれないであろう。
二、没収と追徴について、このように一見して不合理とおもわれる点があるにかかわらず、関税法が密輸出入ないし関税逋脱の行為に附加刑としてこれを科する理由は、これらの行為が国の重要な法秩序と収入源を侵害し、ひいて公共の福祉を害するから、それを厳重に取り締り、未然に防止しようとするためにほかならない。
この点で、没収または追徴の性質が問題になる。これらは犯罪による不正な利益を犯人の手に残さないとか、ふたたび犯罪の用に供させないとかのために科せられるものであって、保安処分的なものであるという見解がある。しかし、たんにそれだけではなく、関税法違反の行為に制裁を科するという刑罰的な意味もあることを否定することはできない。この点については、昭和三四年(あ)第一二六号同三八年五月二二日大法廷決定(刑集一七巻四号四五七頁)の補足意見において、すでに斎藤朔郎裁判官の指摘されたところである。もし保安処分的な性質だけのものとするならば、たとえば、密輸出入の用に供された船舶を没収することができない場合に、追徴を科するということはありえないことである。なぜなら、この場合は、船舶が善意の第三者の所有に移っているとか、滅失または所在不明の場合であって、ふたたび密輸出入の用に供されるおそれはないのであり、追徴がたんに保安処分的なものであるならば、これを科する余地がないからである。それにもかかわらず、関税法が追徴を科すべきことを規定しているのは、追徴が刑罰的な性質を有するからにほかならない。こうして追徴が刑罰的性質を有するとすれば、その基本である没収もまた刑罰的性質を有するといわなければならない。基本である没収とそれに代わる追徴とは、当然に同じ性質のものであるべきで、異る性質のものであるならば、没収に代えて追徴を科するということはありえないことである。没収と追徴が保安処分的な性質を有するのを否定するものではないが、それと同時に、刑罰的な性質を有することも否定することはできない。結局のところは、これらの二つの性質を合わせ有するものというべきである。
そうだとすれば、共犯の場合に、没収と追徴を共犯者のすべてに科することは、十分に理由のあることである。共犯者は犯罪に対して共同の責任を負うものであり、刑罰は犯罪に対して責任のある者に科せられるから、没収と追徴が刑罰的な性質をもつとすれば、それは当然に犯罪に対して共同の責任をもつ共犯者のすべてに科せられるはずである。関税法においても、没収と追徴に関する一般規定としての刑法一九条、一九条ノ二においても、没収と追徴を科すべき犯人を没収されるべき物件の所有者にかぎっていないのは、そのためにほかならない。また、大審院以来の判例が没収の場合にもこれを共犯者のすべてに科したのであり、たんに没収物件の所有者である犯人だけに科したのでないことも、同じ理由によるものである。共犯者は共同の責任を負うのであるから、たとえ事実上では没収物件がその所有者である犯人から没収されるとしても、法律上ではすべての共犯者に対して没収の附加刑が科せられるべきである。追徴についてもまったく同じである。この点で、大審院以来の判例は、没収と追徴の性質を正当に理解し、その上に立ってこれらを適用してきたものというべきである。
三、それにしても、はじめに述べたように、没収と追徴に一見して不合理とおもわれる点があることは否定できない。これを除去しようとすれば、没収または追徴によって受ける不利益を共犯者の間に分担させるべきであろう。没収の場合には、没収された物件の価格を共犯者に分担させるのであり、結局において没収物件の所有者である犯人から他の犯人への求償を認めることになる。追徴の場合には、追徴された犯人から他の犯人への求償を認めることになる。
しかし、法律上でこのような求償を認めることは、犯罪に基づいて法律上の権利義務が発生することを是認し、法律がそれを保障することを意味するのであって、法律が犯罪そのものを容認しないことと矛盾する。法律の立場に立つかぎり、犯罪に基づく求償を認めることは、論理的に不可能なことである。関税法においても、刑法一九条、一九条ノ二においても、没収または追徴について共犯者の間の求償のことを規定しなかったのは、この理由によるものである。
そのために、しかし、事実上で共犯者の間に求償が行なわれることはさまたげられるものでなく。実際にも予想されうることである。このことは、右に述べた斎藤朔郎裁判官の補足意見にも指摘されている。もし事実上の求償が行なわれたならば、はじめに述べた一見して不合理とおもわれる点も除去されることになる。したがって、いわゆる不合理は、法律上の面だけを一見した場合に、そうおもわれるにすぎないものであって、事実上の面も合わせて全体的に見るならば、除去される可能性のあるものである。法律としてはその本来の性質上犯罪に基づく求償のことを規定することができないが、そのために、事実上の求償のことを忘れ、法律上の面だけを一見して非難するのは十分な根拠のないことである。
裁判官入江俊郎、同石坂修一、同斎藤朔郎の補足意見は、次のとおりである。
追徴の点に関するわれわれの補足意見は、昭和三四年(あ)第一二六号同三八年五月二二日大法廷決定(刑集一七巻四号四五七頁)のわれわれの補足意見と同一であるから、それを引用する。
裁判官入江俊郎は、前記追徴の点に関する補足意見のほか、原判決が第三者所有物没収に代わる追徴を科した点に関連して、次の補足意見を附加する。
一 追徴は没収に代わる処分である。それ故、憲法上または法律上没収がその基本的要件を欠き不可能である場合には、没収が憲法上または法律上存在し得ないものであるから、これに代わる追徴ということもあり得ないことは、当然といわなければならない。しかし、没収をなし得べき基本的要件は存在するが、法律の定める特別の除外規定により、または没収物件の滅失もしくは所在不明等事実上の変動により没収をなし得ない場合は、没収は本来的には可能ではあるが、それが法律上の事由によりまたは事実上の事由によりなし得ないのであるから、これに代わるものとして、法律の定めるところにより、追徴を科することは何ら妨げなく、刑法一九条ノ二、旧関税法八三条三項、関税法一一八条二項は、そのような場合を定めた規定に外ならない。
そして、刑事事件における第三者所有物の没収手続に関する応急措置法(昭和三八年法律第一三八号)施行前において第三者所有物没収を科することは、憲法三一条、二九条違反とされ、従って没収はその基本的要件を欠き憲法上許されない場合であるから、このような場合には、没収に代わる追徴も科し得ないことは既に述べたとおりである。当裁判所が、かつて関税法違反被告事件に関する判例(昭和二九年(あ)第五六六号同三七年一二月一二日大法廷判決、刑集一六巻一二号一六七二頁)において、憲法上許されない第三者所有物の没収とこれに代わる追徴との関係につき、「従って、また旧関税法八三条三項の追徴の規定も、右の如き理由により没収そのものが憲法上許されない場合には、その適用の余地がないものと解するを相当とする。」と判示しているのは、まさに前記の趣旨に出ずるものである。
二 ところが、その後、前記第三者所有物の没収手続に関する応急措置法が制定され、昭和三八年八月一日より施行されるに至り、同法所定の手続を践むことにより第三者所有物の没収は憲法上許されることとなった。それ故、この場合において、没収すべき物が既に処分されていて没収ができない本件のような事案においては、当該被告人に弁解、防御の機会が与えられており、かつ追徴を科する前提要件たる第三者所有物没収に関する事実関係の存在について適法な審理が尽されている限り、旧関税法八三条三項により、右没収に代え、その価格に相当する金額を追徴すべきものであり、この見解は、前記当裁判所の判例と何ら矛盾するものではない。また、前記第三者所有物の没収手続に関する応急措置法施行前においては、第三者所有物没収は、憲法三一条に照らしこれを科することが憲法上許されなかったのであるが、犯罪行為当時においてその行為が違法とされ、これに対し没収が定められていたことは旧関税法の規定により明瞭であり、ただ手続の面において憲法上の要請を欠くが故に没収を科することが憲法上許されなかったのである。それ故、右法律施行前の犯罪行為に対し、同法施行後、同法所定の手続により、これに附加刑として没収を科することは何ら憲法三九条の遡及処罰の禁止の条項に触れるものではない(昭和三五年(あ)第一七七二号同三八年一二月四日大法廷判決参照)。
三 なお、原審における本件の口頭弁論終結時においては、前記第三者所有物の没収手続に関する応急措置法は未だ施行されておらず、第三者所有物没収は憲法上許されていなかったから、これに代わる追徴も認め得ないものであった。それ故、原判決としては、本件追徴を科し得ないはずのものであったのであるから、同判決を審査する当裁判所としては、原判決中追徴を科した部分を破棄し、これを原審に差し戻すかまたは刑訴四〇〇条但書により自判するかいずれかの方法を採る途が存するところ、今日既に前記応急措置法が施行され、第三者所有物没収は憲法上許されるに至り、また本件においては、記録上、追徴を科せられる被告人に弁解、防御の機会が与えられており、かつ追徴を科する前提要件たる本件第三者没収の事実関係について適法な審理が尽されていることが認められるのであるから、当裁判所は原判決を破棄して自判することができる。しかし、その場合に、当裁判所は結局において原判決と同様の追徴を科することになるから、刑訴四一一条により原判決を破棄しなくとも著しく正義に反するものとはいえない。
裁判官横田喜三郎は、裁判官入江俊郎の右附加補足意見に同調する。
裁判官奥野健一の少数意見は次のとおりである。
没収とは犯罪に関係ある物件の所有権を剥奪して国庫に帰属せしめる附加刑であり、追徴は没収不能又は没収しない場合に没収に代わる換刑処分であるから、全然所有者でなかった者に対して追徴を科することは許されないものと解する。けだし、かかる者は若し犯罪貨物の没収が可能な場合であれば没収処分により何ら経済上の実害を受けないものであるのに、没収不能のため、それに代わる措置として追徴を命ぜられることになると、没収不能という偶然の事情のため経済上の実害を受けるという不合理な結果を招来することになるからである。
前記の如く没収は犯罪に関係ある物件の所有権を剥奪して国庫に帰属せしめる処分であるから、犯罪貨物につき所有権を有する者に対し没収の言渡をなすことは当然であって、他の共犯者との関係においても何ら不合理なものではなく、却って全然所有者でも占有権者でもない者に対し没収を科することは寧ろ無意味であり、不可能である。然るに、その所有者がその所有権を他の善意者に譲渡したため没収できなくなり又は偶然な事変のため、その物件が現存しなくなった場合に、その譲渡又は事変に何らの原因をも与えなかった他の(所有者でなかった)共犯者からその物件の価額を新たに追徴するということは、その共犯者に対しては没収可能な場合に比し著しく苛酷であり、不合理である。従って旧関税法八三条三項にいわゆる犯人にはかかる共犯者は包含しないものと解すべく、若しこれを包含するものとすれば同条項は憲法三一条に反するものといわねばならない。
本件において被告人は本件犯罪貨物の所有者でなかったことは記録上明白であるから被告人に対し犯罪貨物の原価の追徴を命じた原判決は違法であり破棄を免れない。
なお所有者以外の犯人より追徴すべきでないことについての詳細は、昭和二九年(あ)第五六六号同三七年一二月一二日大法廷判決(刑集一六巻一二号一六七二頁)及び昭和三四年(あ)第一二六号同三八年五月二二日大法廷決定(刑集一七巻四号四五七頁)における私の意見と同一であるから、それを引用する。
裁判官城戸芳彦、同柏原語六は、裁判官奥野健一の右少数意見に同調する。
弁護人平松勇、同鈴木秀雄の上告趣旨第一点についての裁判官山田作之助の少数意見は次のとおりである。
わたくしは、関税法所定の所謂犯罪貨物(例えば密輸に係る時計の如し)に対する没収に代わるその価格の追徴は、被告人がその貨物について所有権を有していたが、現在その所有権を失っている場合に限って科せらるべきものと解するから(その理由は昭和二九年(あ)第五六六号同三七年一二月一二日大法廷判決、刑集一六巻一二号一六七二頁において旧関税法八三条の追徴の規定について述べたわたくしの意見と同趣旨であるからこれを引用する)、かつて一度も所有権をもっていなかった被告人に対し没収に代わる追徴を言渡した原判決はこの点において破棄を免かれない。
裁判官田中二郎の少数意見は、次のとおりである。
旧関税法(昭和二九年法律六一号による改正前の関税法)八三条一項は、一定の「犯罪ニ係ル貨物、其ノ犯罪行為ノ用ニ供シタル船舶若ハ航空機又ハ第七十六条ノ二ノ犯罪ニ係ル貨物ニシテ犯人ノ所有又ハ占有ニ係ルモノハ之ヲ没収ス」べきものとし、同条三項は、「……没収スヘキ物ノ全部又ハ一部ヲ没収スルコト能ハサルトキハ其ノ没収スルコト能ハサル物ノ原価(犯罪行為ノ用ニ供シタル船舶又ハ航空機ナルトキハ其ノ価額)ニ相当スル金額ヲ犯人ヨリ追徴ス」べきものとしている。この意味での追徴を科せられるべき犯人の意義及び範囲について、法文の字句のみからいえば、解釈上、疑問の余地がないわけではないが、追徴の本質及び機能に照らし、没収を科せられるべきでない者に対して追徴を科することは許さない趣旨と解すべきである。これと異なる解釈に出た多数意見には賛成することができない。
思うに、没収は、犯罪に関係のある物件の所有権(又は占有権)を剥奪して国に帰属させることを目的とした附加刑であり、主刑に附加してこれを科することによって科刑の目的を全うしようとするものである。それが、一面において、制裁的な意味合いをもつことを全く否定し去ることはできないが、特にこれを「附加刑」としているのは、主刑と異なり、多分に保安処分的性質をもつものであるからにほかならない。
旧関税法八三条一項に、密輸入等の関税法違反に対し、主刑に附加して、附加刑として、犯罪貨物等を没収することにしているのは、主としては、懲役・罰金等の主刑を科しただけで、依然、犯罪貨物等の保有を許容するときは、関税法違反を抑圧することが困難で、科刑の目的を完全には達成することができないために、犯罪の手段を奪い又は利得の保有を禁ずることによって、重ねて関税法違反を犯すことのないようにするための一種の保安処分的手段たらしめ、もって関税法秩序を確保しようとする政策的意図に出たものである。没収は、かような性質をもつものであるから、主刑とは異なり、共犯者のすべてについてこれを科することなく、犯罪貨物等の所有者(又は占有者)についてのみ、これを科し得べきものとしているのであって、また、それで十分に目的を達成し得るわけである。
ところで、追徴は、没収を科すべき場合を前提とし、本来没収すべきものが法定の事由によってその不能な場合に、これに代え補充的に科せられるべきものであることは、法文上、明らかである。それは、没収されるべき犯罪貨物等の所有者(又は占有者)が得た利益を剥奪することによって犯罪によって利得させるようなことがないようにし、又は犯罪貨物等の滅失毀損、若しくは第三者への移転等によって不当に没収を免れしめるようなことがないようにするためである。若し、犯罪貨物が滅失したり第三者に譲渡されたりして、没収が不能となった場合に、何らの措置をとり得ないとすれば、没収を科せられるべき犯罪貨物等の所有者(又は占有者)をして、故意に没収不能の事態を招来させ、不当に利得を保有させることになる危険性がある。そこで、これに備えて、没収に代わる追徴を一種の補充的・保安的処分として認める必要が生ずるのである。したがって、元来、没収を科せられるべきでない者に対して、追徴を科するということは、追徴が主として没収に代わる補充的・保安処分的性格のものであることの本質及び機能を正解しない誤りに基づくものといわなければならない。元来、没収を科せられるべきでない者に対して、追徴を科するということは、追徴の本質及び機能に反し、その限界をこえるものとの非難を免れない。
多数意見は、「当該関税法違反の犯罪に関与した犯人のすべてに追徴を科することは、犯罪に対する制裁と、その抑圧の手段としての刑罰的性格を有する追徴の本旨に適合するものと認むべきである」とし、追徴の刑罰的性格を強調しているけれども、若し、その刑罰的性格を強調する立場を是認するとすれば、他の大法廷判決(昭和二六年(あ)第三一〇〇号同三三年三月五日言渡、刑集一二巻三号三八四頁)で、「国が追徴しうるのは没収せらるべき物の価額以上におよぶことを得ず、追徴を命ぜられた被告人の中の一人または数人がすでに追徴金の全部または一部を納付したときは、その納付済みの部分については、更に重ねて他の被告人から納付せしめることを得ない」としているのは、理路一貫しないものがあるのみならず、主刑としての罰金と附加刑としての追徴との区別を不明確にし、罰金については、法律上にその限度を厳格に規定しながら、追徴については、殆ど無限定に等しい高額となることの不均衡を適切に説明することができない。これらの諸点は、追徴が刑罰そのものと異なり、没収に代わる補充的処分であり、犯人の利益の保有を禁じ、これを国に剥奪する保安処分的性格のものであるということによってのみ説明し得るものである。
また、旧関税法八三条の規定は、没収を科せられるべき者と追徴を科せられるべき者との均衡を無視して没収を科せられるべきでない犯人に対してまで追徴を科し得べきことを定めたものと解すべき合理的な根拠はない。多数意見によれば、犯罪貨物等の没収が可能な場合であれば、所有者(又は占有者)でない者は、没収処分によって、何ら経済上の実害を受けないものであるのにかかわらず、偶然の事情のために、没収が不能となった場合には、それに代わる措置として、犯罪貨物等の所有者(又は占有者)でない者も等しく追徴を科せられることになり、没収可能な場合に比し、著しい不均衡が生ずることになるが、このような不均衡を肯認すべき合理的理由は全く見出しがたい。
これらの点を考慮すると、旧関税法八三条三項により追徴を科せられるべき犯人は、没収を科せられるべきであった犯人を意味するものと、限定的に解釈するのが、法律の趣旨に合し、追徴の本質にも沿う解釈といわなくてはならぬ。
ところで、本件においては、被告人が本件犯罪貨物の所有者でなかったことは記録上明白であり、占有者であったことの認定もないのであるから、仮りに犯罪貨物の没収が可能な場合であれば、被告人は、経済上、何らの実害を受けることがなかったはずである。然るに、たまたま、没収が不能となったからといって、これに追徴を科することは、著しく苛酷であり、不合理である。これは、多数意見が追徴の刑罰的性格のみを強調し、旧関税法八三条三項に単に「犯人」とある字句に捉われ、追徴の本質及び機能について適切な考慮を欠き、追徴の限界をこえてこれを科すべきものとしたことの誤りに基づくものである。
以上の理由によって、私は、被告人に対し、犯罪貨物の原価の追徴を命じた原判決は違法であり、破棄を免れないものと思う。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎)